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回復していくみたい
<ピンチはチャンスらしい>

2007年の夏の鬱の期間、母が我が家に泊まり込みで手伝いに来てくれていたのです。母も父が亡くなって少し身軽になったというか、そういう感じで私が倒れ入院が決まったときには当然のように来てくれました。しかし入院先が私とは合わず1泊2日で帰って来てしまい、それから同居が始まりました。最初の内はなんとか上手くいっていたのですが、母の疲れも出てきたのか次第に状況は悪くなっていきました。「いつも寝てばかりいる。」と不満を言われ、何気なく旦那が洗濯機に入れた前日に洗ったばかりのシーツが洗われて出てきたときに爆発。最終的に「寝てるだけなのに、ご飯は1人前食べる。」ということまで言い出しました。
私はといえば、とにかくしんどくて寝ている中でもなんとか少しくらいはと思って子供達と話したりするのですが「笑えないなら喋るな。」とか「声が小さくて聞こえない。」とか・・・・・私も限界を感じていました。

思い切って「私達家族だけで、なんとかならないか。」と旦那に相談。「主治医の判断を聞いてから」という条件付きではあった物の賛成してくれました。主治医も勿論賛成でした。今のままの生活はプラスにはならないだろうということでした。
いつものヘルパーさんを毎日お願いして家族だけの生活がスタートしました。家の中のことはこなせるようにはなっていましたが、外に出る元気はありませんでした。ココロもカラダもそこまでは付いていけなかった。しかしサブリナは外で遊びたい盛り、ココをヘルパーさんにお願いしました。それとお風呂。サブリナとアッキーと3人で入る力はないのだけど、サブリナを待たせてサブリナと旦那とお風呂にはいるというのは、翌日の幼稚園のことを考えると遅くなりすぎしまいます。サブリナと私が一緒に入っている間、アッキーを見ていてもらい、アッキーは旦那と入ることに。そんな感じで毎日が過ぎていきました。私の調子も少しずつ良くなっていきました。

夏の終わりからクリスマスの幼稚園の発表会で使う衣装のデザインと型紙を頼まれ、週に1度は幼稚園に行って先生方と打ち合わせをしていました。母には大反対され、調子を崩す度にそこを突いてきます。一時母とは音信不通にしてしまうということがおきました。しかしこの型紙作りが私にとって回復へのきっかけとなりました。

途中、10月半頃に私は体調に異変が起きました。気分は全く悪くないのに体が動かなくなってしまうという事態でした。酷い肩凝りで目がチラチラ光ったり、殆ど食事も喉を通らない。右半身に感覚がなくなってきて、さすがに慌てました。旦那が主治医に電話で相談すると「まずは頭(脳)の異常がないか、検査してそれから僕が診るから。」というお答えで、私は速攻で大学病院に連行されました。CTとか様々な検査の結果は・・・・すこぶる健康。「なんじゃらほい?」と言いながら心療内科を受診し経緯を話したところ「回復期に希にこういうことが起こる人がいる。」ということでした。

それからの私は本当に元気になりました。不思議なことに体重がどんどん減りました。気分もなんだか変わってきました。そして旦那が言った一言。「なんか、結婚する前とかサブリナを産む前のアンタみたい。」言動から、体重までそんな感じです。気分が乗らないことは無理してやらない。いつも何かに怒って現状にちっとも満足しない。そうかと思えばボケーッとしている。良いことなのか悪いことなのか、あまりよく分からないけれど「元気ならそれで良いんじゃない?」という感じです。

アッキーの1歳の誕生日の頃には、私は本当に元気になりました。

夏の鬱はなんだったんだろう?産後うつだったのか、父が亡くなったショックからなのか・・・・。とにかく本当に辛かったことは確かなのですが、なんだかまったく違う自分がいたような感覚があります。
一度、主治医から「ピンチはチャンスと思え!」と言われたことがあります。きっと夏の私はピンチだったんだと思います。でもそのさなか型紙を頼まれた。これをお断りしなかったことが、私のチャンスだったんだろうと思います。

今年のお正月はサブリナとお節料理のチャレンジしました。気まぐれなサブリナがしっかりとサポートしてくれて、彼女の成長をビックリしながら嬉しく思い、彼女にも達成感があったようで満足そうでした。
そんなふうにこれからもいろいろなピンチがあると思いますが、その度にチャレンジしながら進んでいこうと思います。

今もお薬を飲んでいます。いつまで飲むのかは分かりません。でもいつかお薬も飲まずに笑って過ごせる日を楽しみにしながら今日も暮らしています。

2008.1.29

 


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