入院生活
<私だけじゃないんだ>
| 年が明けて3度目の受診で私の入院が決まった。自宅療養でも大丈夫ではないかとう意見もあったが、私の頭が「入院モード」に入っていたこともあり、ゆっくり休むには入院した方がいいだろうという夫の判断だった。家族みんなが疲れ始めていた。子供の面倒だけならいざ知らず、その母親の面倒まで見るのは大変なことだ。実際、私の母には「入院でもしてくれなきゃこっちがたまらないわ!」とも言われていた。(実の親子は遠慮がない。私にはグサッときても言い返せない)入院中のサブリナの面倒は、義母、母、夫の3人が引き受けてくれることになった。私はサブリナの一日の生活や離乳食の作り方、かかりつけの医者への地図や予防接種の予定などをノートにして渡した。2002年1月10日、私は入院した。 入院の良いところは何かあったときいつも近くに主治医がいるということ。心療内科の治療において主治医と患者の間に信頼関係が出来るということは重要なことだ。毎日主治医が様子を見に来てくれ、話が出来ることは信頼関係を築くのにはとてもいい環境といえる。どんな話をするかと言えば、毎日世間話(笑)そんな中から主治医は私の性格や今の精神状態を観察する。(余談だが、主治医は私の中学の先輩だった。驚いた・・・) 入院1日目。私はいきなり大騒ぎをした。個室で淋しくて仕方なかった私は、自宅でサブリナと一緒にいる義母に電話をかけた。大間違いだった。初日で悪戦苦闘していた義母は、私が思うような食事をサブリナにあげることができなかった。それを聞いてしまった私は、サブリナが心配でたまらなくなり食事はとれない、胃は痛い、夜は眠れないという状態に陥ってしまった。今思えば、初日から完璧にやれというほうが無理なのだが、義母のおおらかな性格を知っている私は次の日もその次の日もずっとサブリナのお腹は満足しないんじゃないかと思ってしまったのだ。(精神状態が悪かったんだなぁ)夫に電話をかけて、思いの丈をぶちまけ私は落ち着きを取り戻した。 1週間を過ぎ、さすがに時間を持て余した私は談話室デビューを果たす。入院している人たちは摂食障害に苦しむ20代女性が殆どだった。同年代ということもありすぐに友達になれた。テレビを見たり、お茶を飲んだりした。(みんな食事制限があるからお茶といっても日本茶のみだったが・・・)そんな中、みんなと挨拶は交わすけれど一緒に話をしない女性がいた。私の部屋の2つ向こうにいる彼女は入院当初からいつも挨拶をしてくれた。ある時彼女と話す機会があり話をしているとお互い同じ病気であることが分かった。年齢も一緒だった。誰に話しても理解してくれない私の気持ちに共感してくれる唯一の人との出会いだった。彼女は主治医に「人に話しても理解してもらえず悲しくなるだろうから、しばらく一人になるように」と言われていたが、私と親しくなったことで彼女に「理解し合えるだろうから」と話をすることを許したのだ。その後私たちは何かと話をしたし、お互い辛いときは助けたりした。私が「やっと分かってくれる友達ができた!」と話すと主治医は「よかったね。」と答えた。「私だけじゃないんだ」と分ったことで少し元気になれたのだ。 しばらくはお気楽な入院生活が続いた。「とにかく今はゆっくりと過ごしなさい」と言われていたので誰に気兼ねすることなく久しぶりにゆっくりとした時間を過ごすことが出来た。たまたま病院の近くに住んでいた独身時代からの友達がよく遊びに来てくれて、外出するときも一緒に行ってくれた。久しぶりに小説が読みたくなり「冷静と情熱の間」を読んだ。ファッション誌も読んだし、CDもたくさん聞いた。時には気分が落ち込むこともあったけれど、同じように病気に苦しむ友人もいたし家にいたときのような孤独を感じることはなかった。ただ、独身時代からの友人と話していると限りなく自分に戻るような感覚があるのに、妻であり母である自分には少しも現実味がないのだ。いつか、妻であり母である現実に戻ることに恐怖さえ感じるようになった。 入院から20日が過ぎ、主治医のカウンセリングを受けた。今の自分に現実味を感じず、働いていた頃の自分が本当の自分のように思えるという私に主治医は「なんで仕事、辞めたの?」と聞いた。カウンセリングはそこで終わり、部屋に戻った私は一生懸命に思い出していた。・・・何でだろう?私は仕事が大好きだったのに、子供を産んでも続けようと思えばいくらでも続けられたはずだ。なのに何故?・・・ゆっくりと思い出した。そこに全てが詰まっていた。 私が仕事を辞めた理由。私はサブリナの全てを見たかったのだ。初めての笑顔、初めての食事、最初に生えた歯や、自分で立ち上がり最初の一歩を踏み出すその姿を。初めて「パパ、ママ」と言った時、歌を教え覚えて歌ってくれたら自分はどれ程嬉しいのだろうか。「ぞうさん」を歌って本物の象を見たときの顔。「チューリップ」歌って二人でチューリップを育て、そして花が咲いたとき、サブリナはどんな顔をするんだろう。全部見届けたかったのだ!保育園の先生が「今日はこんな事出来たんですよ」では嫌だったのだ。 気持ちは焦るが、家に帰るにはそれなりの準備が必要である。私は家に戻るためのトレーニングとして週末に外泊したり、出来るだけ外を歩いたりした。2月9日、私と夫、主治医の3人で話し合い、私がここでするべき事は終わったので11日までの外泊で「答え」を出そうということになった。そして外泊後、2月16日の退院が決まった。 退院にあたり、私の頭を悩ませていることがあった。母のことだ。母は入院して20日を過ぎる頃から「いつ帰ってくるの?」を連発していた。「そろそろ帰ってくれなくちゃ、こっちがたまらないわ!」(いつもたまらないらしい・・・)そういう母に主治医も少し困っていた。しかし晴れて退院が決まった私に母はこう言った。「それであなた、帰ってきてやれるの?」これには私も夫も主治医も閉口してしまった。・・・じゃ、どうすりゃいいのさ・・・という感じである。やれるかどうかはやってみなければ分からないことだ。(これは、非常におもしろいことだが同じ病気の友達のお母さんも私の母によく似ているのだ。) 不安材料はいろいろあったが「とにかく、やってみよう!」これしかない! 私にとってこの37日間の入院は「体を休める」という目的だったけれど、それ以上に自分を見つめ直し、そして同じ「産後うつ病」に苦しみ、一緒にがんばれる友達が出来た貴重な時間だったと思う。 2002.5.27 |