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再入院
<それまでの半年間>

2月16日に退院して新たなスタートを切った私はサブリナを保育園に預けるため保育園に見学に行った。しかし見学に行った保育園は決して私の思い描くような清潔な保育園ではなく、夫婦で話し合い、今まで通りヘルパーさんと義母と母とに力を借りながらサブリナとふたりで生活することを選んだ。心優しい人たちの手助けもあり、何とかかんとかPMSも乗り越えてきた。
しかし、思い通りに行かないことも当たり前のように起こる。それでも何とかやっていたのだが、GW明けくらいから、思い通りに行かないことがいちいち引っかかるようになった。そしてまた1人で抱え込むようになった。週1度、来てくれていた義母も断ってしまった。思い通りに行かないことできつい言葉を義母に言ってしまう自分が辛かった。

その間、薬も変わっていった。未だ自分に合う薬を見付けられないでいた。薬が変わる度、1週間ほど副作用に苦しむ。そんな風に暮らしているうち私はまたしても疲れ果てていった。

そして6月のPMS期間から、生理が来ても鬱から抜け出せない私がいた。生理前から生理が終わって1週間ほどは、横にならないと過ごせないほどの毎日が続いた。
その辛さに私は初めて死ぬことを考えた。何度も何度も。私は11階建てにマンションに住んでいるが、ここから飛び降りようか・・・手首を切ろうか・・・パジャマに火を付けようか・・・。サブリナはどうしよう?私が死んだら彼女はママがいない子になる。だったら一緒に死のうか・・・。でもサブリナには大きくなって欲しい、その姿も見たい。でも、辛い。楽になりたい・・・。これの堂々巡りだ。でもこの気持ちを誰にも伝えられない。そんなことは口が裂けても言えない。1人でずっと抱えるしかなかった。
そしてやっと起きあがれるようになると、またPMS期間に入る。そしてまた3週間寝込む・・・。

6月の鬱から抜け出せない時点で主治医は入院の判断を下したが、次の受診で幾分か回復していたのと、家族のサポートがしっかりしていたのを理由に入院を見送った。しかしまたPMSで鬱に陥った頃、季節は梅雨が明け夏の真っ盛りとなっていた。そう去年と同じだ・・・。私をサポートしていた母がバテ始め、またあの時のようにきつい言葉が私を襲っていた。7月18日母は夫に「私、辛いからここに住もうかしら?」と言った。それを聞いた夫も爆発してしまった。夫は私に「お母さんが来るなら、俺は出て行く!!」と言った。やっとの思いで「お母さんにそれはさせない」と夫に伝えた。
しかし私の心に与えるショックは大きく、完全に自分を失った。

19日私の状況は一気に悪くなり、朝から泣き通しでサブリナどころではなくなってしまう。泣きながら保健婦さんに電話を掛け「何をどうすればいいの?」を連発。保健婦さんが夫に連絡しヘルパーさんがサブリナをみるためにやってきた。夫は私の母の携帯に何度も電話を入れるが一向につかまらない。母は自分が携帯から離れても着信があったかどうか確認しない。母の会社からの伝言を何日も経ってから私が聞いたこともある。そんなことが日常茶飯事だったので、「それくらいは携帯を持った以上、するべきだ」と何度も私は母に忠告していた。しかし彼女は未だに電話が鳴ったのを聞かない限り電話を見ない。結局、夫が打ち合わせをキャンセルして家に戻ってきた。私は怒りのあまり実家に電話を掛けた。「何で見ないの?前から言ってるでしょう?」と言うと「だって、見方知らないモン!」私「だから、小冊子を常に持っていくように言ったでしょう。」母「持ってるよ」私「じゃぁ、何で見ないの?」母「ハイハイ、ごめんね。それで?まだ私に言いたいことがあるの?私は今、帰ってきたのよ。頑張ってるのよ。そんなことより夕飯の支度がしたいわ!」この言葉に私は切れた。私は受話器を放り投げ泣き叫んだ。「私だって必死なのよ!1人で頑張ってるようなこと言わないでよ!何なのよ!全部アタシのせいなの!」夫があわてて受話器を持ち電話を切った。間もなく母が家に来て、サブリナを連れていくと言った。それに私はまた切れた。「何で連れてくのよ!私はサブリナのご飯を作ったのよ。しんどかったのよ!何で食べずに連れてくのよ!連れていくのはまたアタシのせいなの?」泣き叫ぶ私を見て、夫はサブリナを預けずに母を帰した。母からはこの日以来4日間連絡が途絶えた。

もう消えてしまいたかった。私はフラ〜っと外に出た。「もう、私はここにいられない。私がいると、みんなが疲れる」外に出たには出たが、私は行くところがなかった。家に帰るにも、実家に帰るにもいかなかった。私はマンションの前に置いてあるベンチで過ごした。でも、私が帰るのは我が家しかないと考え直し家に帰ると、夫がサブリナを抱えて真っ青になって出掛ける準備をしていた。物凄く怒られた。当たり前だ・・・。

この事件の後、夫はすぐに私を病院に連れていった。主治医は「やっぱり入院した方が良い。でも、今ベッドが空いていない」と言われた。個室が空くのは当分先で、母子入院室が空く方が早いだろうということでそちらに入院予約をして帰ってきた。ベットが空いた時点で私の状況を見た上で入院が決まることになった。それまでに状態が良くなればいいが、すぐPMS期間に突入するため免れそうになかった。入院するならサブリナと一緒だ。「返って大変になるのでは?」と思う自分もいた。
私は受診日になると安心して鬱が楽になる。主治医はそれを知っているから、ひどい時を診たいと言った。そうすれば、いつでも夫に指示が出せる。そう思っているらしかった。加えて母との関係をどうするか、カウンセリングも始めるとのことだった。強い薬を頓服として貰い、私は少し落ち着いた。そして、入院までの対応策を市の保健婦さんと相談してくれることになった。

私は入院待ちのリストの3番目にいた。何とか自宅療養でやりたいと思っていたが、どうも駄目らしかった。母子入院に関しては、主治医の勘違いもあり出来ないとのことだった。私の通っている病院は産婦人科が併設されている。産後1週間で退院できない人、母子家庭で身寄りのない人以外は母子入院は不可なのだそうだ。確かに私の入院する病棟は心療内科である。子供の泣き声や、独特の声、匂いに敏感に反応する患者さんは居るだろうとは思っていた。そのままの答えだった。

しかし、7月29日。私はサブリナが起きているにもかかわらず、どうすることも出来ず眠り込んでしまった。それが3日間続き、どんどん睡眠時間が長くなる。それを見た夫は7月31日、主治医に電話をした。「個室はまだ空かない。しかし、個室が空くのを待っている余裕はない。大部屋もベッドは1つしか空いていない。でも、そのベッドがうまる前に入院させて下さい。今すぐそのベッドを押さえます。明日入院させて下さい」と夫に伝えたという。
私は8月1日から緊急入院が決まった。
すぐさま、夫、私の母、保健婦さん2名の4名で緊急会議が行われた。サブリナは、お盆までは義母が見てくれ、8月19日から保育園に緊急一児保育で預け、9月1日付で正式入園となった。本来13ヶ月からの麻疹の予防接種も特例で入園までに受けれるように手配をした。

こうして、私は8月1日より再入院となった。                       2002.10.11

 


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