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再発しました
<タイミングは大事です>

2006年11月16日、元気な男の子アッキーが誕生しました。サブリナの出産を思えば驚くほどのスピード出産の安産でした。おかしな私は、陣痛が来ているのにサブリナのお弁当を作りました。未だにぞの時の自分の行動はよく理解できません(笑)アッキーを取り上げて下さった助産婦さんにも笑われました。

産後はいつものヘルパーさんが私とアッキーの世話をして下さいました。サブリナは母の所に預け、彼女もそれなりにそこの生活を楽しんでいるようでした。
12月に入ってすぐ私の精神状態が不安定になりました。すぐに受診し、妊娠中止めていた薬を再開し乗りきることができました。冬休みにサブリナが帰ってきて家族4人の生活は始まりました。

3学期が始まってすぐ、お子さんを亡くした経験のあるお母さんから「アッキーを見たくない」との理由で同じ所から幼稚園に行くのを辞めるといわれました。そしてその次の日、父の肝臓ガンが分かり余命が半年から1年であることが分かりました。私の頭はグチャグチャでした。お友達のその後の行動も理解できない部分がありました。どこに何を言って良いのか分からず、思わず日記に吐露したところ反対の意見が寄せられました。今思い出しても恐ろしく、その時の私は「結婚してない、子供産んでない、鬱でもないアナタに何が分かるの?」と半ば錯乱状態でした。父のことも重なり、毎日洗面所で一晩中泣いていました。それでHPをお休みさせてもらいました。

なんとか気を取り直し3学期を終えた春休み、そのお友達が我が家に遊びに来てくれました。彼女は亡くなったお子さんのこと、いろいろ話してくれました。だから私も話すことにしました。HPでは私はお話しするのは初めてですが、実は私はアッキーを妊娠する直前、2005年の11月に流産をしました。不妊治療の末、やっと来てくれた小さな命が誰の目にも姿を見せず、祝ってもらうことなく空に旅立ちました。(ひとり、友達がおめでとうと言ってくれました。)とにかく悲しく辛かった。不妊治療はお休みしたのではなく、不可能になったのです。(ご存じの方もおられるかもしれませんが流産の後は子宮を休めるため3ヶ月妊娠はできません。)だからアッキーが産まれるまで私は本当にビクビクしながら過ごしていました。本当に怖かったのです。彼女は流産したことは知っていましたが、不妊治療を受けていたことは知らなかったと言っていました。やはり程度にこそ違いはあれど、同じ思いをしているのですから「お互い大変だったね。」と、春の昼下がりお茶を飲みながら話をしました。せっかく子供同士は一番仲良しの2人なんだから、私達もこれからも仲良くしようと、そんな話だったような気がします。

その一方で、私は毎年の事ながら「春の不調」が始まっていました。その不調は確かに感じていました。でも私はそれを無視しました。父と父の看病をする母を少しでも助けたかった。休日のお昼御飯くらいは父と一緒に食べたかった。休日は早起きをして旦那とサブリナにお昼を作り「気の済むように、後悔しないように、お父さんと一緒にいたらいい。」と言ってくれる旦那にアッキーをも預け病院に行っていました。旅行にも行きました。殆ど私が手配をしました。バリアフリーで車椅子でも入れる貸し切り温泉のあるホテルを探したり、伊勢神宮を参拝できるように電動車椅子の手配もしました。話は逸れますが、伊勢と言うところは日本一バリアフリーが徹底されている観光地です。

産後2ヶ月からのそんな生活、今思えば無理な話なんです。私の体がとうとう動けなくなってきた頃、父は亡くなりました。父の忌が開ける頃、本格的に鬱が襲ってきました。もう、誰にも止められない。そんな感じでした。起き上がることも、話すことも、食べることもなくなりました。ずっと寝ていて、ずっと泣いていました。

いろいろとタイミングが悪すぎたとはいえ、再発してしまいました。少しだけ起き上がって外にも出られるようにもなりましたが、今はいろいろと我慢我慢で静かに過ごしています。6歳のサブリナと8ヶ月のアッキー、優しい旦那、元気だったらどれ程楽しいかと、なんで私は鬱なんだろう?とそればっかりです。でも少しでも早くよくなるために、静かな奮闘を続けています。

でも、アッキーを産んでよかった事だけは確かです。

2007年8月11日

 


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