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入院生活2
<休養と治療>

8月1日より始まった私の入院生活は、私を驚かせた。入院したとき私は、「私ってそんなに悪かったの?」と自分でも驚くほどだった。病院に着いた途端、ヘナヘナとなり「ただ時が流れていく」だけでした。なのに落ち着かずそわそわした。サブリナの居ない毎日は、私の気を抜かせていた。彼女は私にとってそれだけシャキッとする大切な存在だったのだと改めて思った。最初の3日間は大部屋で、辛いにも関わらず1人になれるところを求めて彷徨い歩く日々が続きました。個室に移ってからは、まるで木から落ちたナマケモノ状態。朝、やっとの思いで起きあがり食事をし、寝て・・・気付くと昼食。そしてまた寝て・・・夕食。そんな毎日です。たまに主治医と話したり、CDを聞いたり。そんなとき、病院に持って行った吉本ばななの「ばななブレイク」という本の帯に目が止まりました。

今は生きるのみだと思っている。
それは私がしたいことに邁進して幸せだからそう感じるのか。
人生は人のことをどうこういうよりも
自分の出来ることを苦しく、楽しく、一生懸命やり、
泣き、笑い、他者に貢献し、周囲の人々を愛し、
毎日を生ききっているうちにあっというまに終わってしまう。
それでいいような気がする。

家にいるときは、ただ1日が過ぎることに精一杯で「私は何もできてないんじゃないか」。入院中は、こんな生活で良いのだろうか・・・と悩んでいたけれど「あぁ・・そうなんだ。それで良いのかもしれない」なんて少し気が楽になったりしました。でも私にはまだ邁進したい何かを探せてはいない。「子育てに決まってるじゃない!」と言われるかもしれないけれど、それではないかもしれない。きっと答えは一つじゃない。今はゆっくり休んで、徐々に見付けていけばいいと思っていた。焦らない!今度こそ絶対に良くなって帰りたい。そう思いってた。
主治医ともまだ殆ど治療の話は進んでいなかった。(丁度夏休みに当たってしまったし)「今はただただ休むよう」に言われていた。

しばらくは一進一退が続いていた。良くなりかけたり、また鬱状態に陥ったりという日々だった。とても小さな雑音さえも拾ってしまい、心が揺れ動き自分でもどうして良いのか分からない日が続いていた。しかし、すでに半月が経過して、ただただ休むだけの日々に私は少々焦っていた。私は主治医に申し出た。「治療はいつ始まるのですか?」その答えは「交換ノートを作って、日記を始める?」というものだった。私は即座にそれを始めることに同意した。

8月18日から主治医との交換日記が始まった。日々起こったことを事実と感想・意見と分けて書くという日記で月・水・金に主治医に渡すことになっていた。サブリナが保育園に入園するに当たり「サブリナのすべてをこの目で見届けたいと思っていたけれど入院はするし、結局こうなってしまった。」というようなことを書いたら「普通そこまで見届けたいと思わない」という返事が返ってきた。「だったら、オマエ!10ヶ月腹で育てて、産んでみろよ!そしたらわかるぞ!」と思うようなことがあったり、書いたことに対しての答えが理解不能だったりした。「で?」「だから?」「それで?」「???」お腹に溜まったことを一つずつ、書いていくことで解決しようという事だったのに、私はどんどん暗い迷路の中に入り込んでしまっているような状態になっていった。「ノートが入った引き出しを見るのも嫌」になってしまった。
そして、8月21日。顔を見に来た主治医が「今日は夕診が無い日だから、僕は早く帰ります!バイバイ!」といって出ていった主治医が嬉しそうに見えてしまった。きっと本人は何の気無しに言ったのだろう。でもその、ほんの些細なとても小さな主治医の言葉は私には雑音になってしまった。”きっと温かいご飯を家族揃って食べるんだろうな・・・いいな。”と、思った。その時涙が溢れてしまった。「家に帰りたい。温かいご飯を家族で食べたい。”おやすみ””おはよう””いただきます””ごちそうさま”サブリナの頭をちょこんと下げる仕草、夫の声があふれ出した。1人で3食冷めた病院食で、”おやすみ”も言わず寝て、真夜中に目が覚めても1人で、朝起きても”おはよう”も言わない。言いたい相手は看護婦さんじゃない!帰りたい。もう、誰もいなくても良いから、2時間で良いから、家族のにおいのする家に帰りたい!帰りたい!」頭の中はそれだけになってしまった。それから2日間、ベットでうずくまり頭から布団をかぶって、誰彼構わず「帰りたい!」しか言わない私を見て主治医は「じゃぁ、帰りな。ただし必ず帰ってくること。」その言葉にも私は過剰に反応した。「私ってそんなに信用無いの?私言ったでしょう!サブリナをママのいない子には絶対しないって!何度も言った!聞いたでしょう!!」殆ど錯乱状態で「私はお母さんなの!ご飯作れないけど、掃除も洗濯も出来ずにここにいるけどお母さんなの。子供を1人になんて出来ないの!!」と泣き叫ぶ私に看護婦さんは、「今日、帰るのよそうよ」と言ったけれど、帰らなければ治まらないと思っていた。そして夫に助けを求めた。
夫は何も聞かずに迎えに来てくれ、何も聞かないまま普通に「おやすみ」を言い、目が覚めたら「おはよう」と言った。サブリナもちょこんと頭を下げた。無理矢理起きあがって、「いただきます」で3人で朝食を食べた。そしていつものように、サブリナは保育園へ。夫は仕事へ出掛けていった。最後まで彼は何も聞かなかった。

病院に戻ってすぐ、またもや事件は起こってしまった。8月31日土曜日。PMS真っ直中で調子が悪く、寝れなかった。と私が不調を訴えているにも関わらず、「訪室したがいなかった。」という理由で、伝言も、もしもの時の処方もなく主治医が「用事があるから。」と帰ってしまった。私は調子が悪かったのです。主治医が来るのを17時までじっと待ってました。でも待てど暮らせど来なかった。看護婦さんに聞いたら「え?帰ったよ。用事があるって。」という返事。それに私は腹が立って仕方がなかった。頭の中は病院を変わろうというところまで話が進んでしまっていた。
次の日曜も調子が悪く、頭痛がしたり、頓服が欲しくなるほどイライラしたりしていたが、薬をもらいにナースステーションを訊ねても蛻の殻だった。婦人科を併設しているので、心療内科の看護婦も降りていってしまっていた。ナースコールを押してもなかなか看護婦は来ない、薬を貰うにも、2階まで降りなければならなかった。2階まで降りていくと看護婦は渡って話をしていた。それにも腹が立っていた。
そして月曜日に主治医が回診に来る頃には、怒りは頂点に達していた。私は交換ノートに、思いの丈をぶちまけた。

外泊を申し出た。少し離れた場所で頭を冷やす以外に方法がないと思ったからだ。交換ノートの返事も書かず「帰っても良いよ。今話をする状況じゃない」と言って主治医は出ていった。「PMSのせいだ」とだけ言われたのだった。主治医に私はノートを投げた。私は理由もなく腹を立てているわけではないのに・・・。それをPMSだけのせいにされるのは我慢がならなかった。「もうこんなところにいるもんか!顔も見たくない。卑怯者!」叫んでいました。
私は時間をおいて主治医と話した方が良いのではと思い、外泊は2泊3にした。私はあえて月・水・金の主治医の朝の回診をキャンセルした。その理由は、私が冷静になって家で交換ノートを書き、それを見てもらった上で主治医と会ったほうが良いと思ったからだ。私が怒り狂って夫に電話をかけたため、夫は主治医と話をし、その話を帰った私に伝えてくれた。夫は「怒り狂っているあなたに、話をしても無駄だと思われたんだよ。」と言っていた。
自分で冷静を取り戻し、あれほど錯乱状態で失態をさらし、自己嫌悪の固まりのようになって外泊から戻った私に主治医は「自分でリセットできたじゃないか。」と言った。「そうだ私は自分でリセットして帰ってきたのだ。」とその時始めて思った。「これだけ出来るんだ。全部自分のせいにして抱え込んでいた頃と比べてみなよ。大丈夫、治るよ。」相変わらず力強い言葉たった。

前回の外泊がきっかけで9月7日、退院へむけての訓練外泊が始まった。何回か繰り返しその向こうには退院が待っていた。このような外泊を使い、私が外になれることや、戻るべき我が家の環境調整をしていくのだ。夫と母が主治医から説明を受け、退院に向けた長い?短い?トンネルに入った。これから、カウンセリングも含めて”人に流されず、自分の出来ること出来ないことを自分なりに選択して、頑張ることは勿論、時には諦めることも大切。そうやって、うまく生きて行けるようになるため”の治療が始まることになった。「世の中、白と黒だけじゃすまないんだよ。だからあれだけの色がある」と主治医は言った。心に響くわかりやすい言葉だった。

その後、私は2進1退という感じで小さな波はあるものの、確実に落ち着いていった。前回の入院で、お友達を作って楽しく過ごしてしまったため、退院してから淋しくて仕方なかったということがあった。その理由から最大限1人でゆっくりするように心がけていた。入院当初は、自分のことで精一杯だったため、気にもしていなかったし、他の入院患者さん達の事は見ないし、聞かないし、言わないという風だったが、だんだん気持ちにゆとりが出てくるのと同時に、不可抗力で耳に入ってしまう他の患者さんの、人間模様、家族模様が、自分の将来に重なってしまい心が揺れることが起こるようになった。「でもそれはよそ様の家庭のことであり、私とは違う」と自分自身に言い聞かせていた毎日だった。
心理テストの結果も出て、私という人間に対するカウンセリングの方針も固まりつつあった。

私は入院中、柳美里の「命」「魂」「生」「声」を読みふけっていた。私よりずっと過酷な状況の中、懸命に生き、子を育て、看病し、なおもまだ懸命な彼女の姿に勇気と感動を貰っていた。「命」「魂」「生」を映画化した「命」という映画も見に行った。その映画の中で、私の心に残っているのは、柳美里の母親が娘の妊娠を知ったときに言った台詞だ。「バンザイ!バンザイ!これであの子は、自分で死のうとしたりしなくなるわ!あのこ何回死のうとした?これでおしまいよ。女はね、子どもが居たら死ねないのよ。どうしたって死ねない生き物なのよ!!」私は「そうだ・・・」と自分の過去を振り返った。以前、このHPの徒然草にも書いたことがあると思う。サブリナと一緒に死のうと思ったことがある。でも私は出来なかった。その勇気もなかったし、サブリナの人生を私が終わらせてはいけないと思った。彼女には大きな未来があり、その未来を共有したいと思ったからだった。

そして、自分でも随分落ち着いたと実感できるようになた。小さな気分の波はあるものの、自分で何とか出来るようになってきたのだ。1日の流れも速く感じるようになり、随分回復しているようだった。交換ノートに書くことも今日明日のことではなく、長いスタンでのことに目を向けるようになってきて、私としては、これからのことに「不安がいっぱい」で、あれやこれやと考えていて頭がぐちゃぐちゃになっているとき主治医から出た言葉が「不安を抱えながら生きていこう」というものだった。「困ったことが起きたらその時に考えればいい、今から頭を悩ますことはない。不安のない人間など居ないと思わない?」と。これからカウンセリングなどでそういうことも治療が進んでいくことになった。

そして何も起こらない限り、9月28日に退院しようということになった。          2002.10.21

 


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